大田区蒲田には史跡が多数ある!歴史や特徴について解説
大田区蒲田は海と山に囲まれた地理条件から古くから人々が生活をし、交通の要所であったことで知られています。
さらに歴史のある地域でもあり、現在も町のいたるところに史跡が残り、歴史が息づいています。
これから、大田区蒲田地区の歴史についてご紹介します。
史跡の日本舶用ディーゼル機関関発祥の地として知られている大田区蒲田
蒲田駅の近くに位置する蒲田本町一丁目団地の敷地内に記念碑が建てられています。この石碑はかつてこの地に新潟鐡工所という鐡工会社工場があったことを表しています。
新潟鐡工所は造船や産業用車両製造などをおこなっていた総合重機メーカーで、本社が大田区蒲田にありました。
新潟鐵工所は大正10年に大田区蒲田に工場を建設し、日本で初となる舶用ディーゼル機関の量産を始めました。
舶用ディーゼル機関とは
舶用ディーゼル機関とは、分かりやすく言うと船舶のエンジンです。
自動車の多くはガソリンエンジンを使用するのに対し、船舶はディーゼルエンジンを使用します。
これはディーゼルエンジンの燃費の良さと長時間航海に耐えることを必要としているからです。
日本舶用ディーゼル機関の発明が、航海の安全性を向上させ、長距離航海を可能にしたことによって日本の海上輸送とこれに伴う貿易産業は大きく発展しました。
少々マニアックな史跡に残る石碑ですが、日本の発展の第一歩が踏み日本舶用ディーゼル機関発祥の地ともいうことができる、歴史的価値のある史跡なのです。
日本舶用ディーゼル機関関発祥の地へのアクセスですが、JR京浜東北線蒲田駅から徒歩約10分の距離にあります。
大田区蒲田に残る史跡の梅屋敷と和中散売薬所跡
京浜急行「京急蒲田駅」のとなりに「梅屋敷駅」という駅があります。
この駅名は、かつてこの地に存在した梅屋敷という漢方薬屋に由来しています。
時を遡って江戸時代、この地は交通の要所であったため多くの商人や旅人が行き来する地でした。
彼らの長く険しい道中に疲労や病は付き物、そんな時重宝したのが「和中散」という道中常備薬です。
食あたりなどに効く漢方薬として旅人たちに重宝されたこの薬は、茶屋で販売されました。
薬の販売は大成功を収め、この利益で茶屋周辺に見ごとな梅園を造園した事からいつしか梅屋敷と呼ばれるようになったと言います。
この茶屋跡は史跡として聖蹟蒲田梅屋敷公園という名で現在も残っています。
もっとも良い景色が楽しめる公園の時期は
冬の終わりから春の始めにかけて美しい梅の花を楽しむことができます。
かつては亀戸の梅林とともに江戸近郊の梅の名所として有名になり、広重の浮世絵にも描かれました。
梅屋敷と和中散売薬所跡へのアクセスですが、京浜急行線梅屋敷駅 徒歩約5分の距離にあります。
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